2016年10月04日

今も人気の小説家・夏目漱石!東京にあるゆかりの地を巡ろう

今も人気の小説家・夏目漱石!東京にあるゆかりの地を巡ろう

夏目漱石といえば、代表作の「こころ」、「我が輩は猫である」などが浮かんできます。もちろん最も有名なのは小説家としての顔ですが、実は評論や英文学といった分野でも活躍した多才な人物です。2016年は、夏目漱石の没後100年にあたる記念年。今回は、東京にある夏目漱石ゆかりの地を紹介します。あなたも、漱石の足跡を追ってみませんか?

漱石ゆかりの地を巡ろう!

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出典:ことだまさんの投稿

日本を代表する文豪、夏目漱石。その著作は教科書にも掲載されており、誰でも一度は読んだことがあるのではないでしょうか?かつて千円札にも肖像が刷られ、まさに国民的作家と呼ぶにふさわしいですよね。

漱石はその50年に満たない生涯のうち、多くの時間を東京で過ごしました。イギリス留学や愛媛への赴任はよく知られるところですが、実は一番長いのは東京で暮らしていた時期なのです。そこで今回は、都内の漱石ゆかりのスポットを、その生涯に沿ってご紹介していきます!

漱石誕生の家

漱石誕生の家826201

出典:

早稲田駅(東京メトロ東西線)から徒歩すぐ。「夏目漱石誕生の地」があります。夏目漱石は、1867(慶応3)年、江戸の牛込・馬場下横町(現在の新宿区喜久井町)で生まれます。父は地元の名士で、生家に面する通りはその名も「夏目坂通り」。生家自体は今はなく、石碑が立てられているだけですが、その力を今に物語っています。

漱石誕生の家830423

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漱石の幼年期は、2度養子に出されたり、また実家に戻ったりと複雑なものであったといわれ、この経験は彼の作品にもしばしば反映されました。幼い漱石がその作品の土壌の一つを育んだ場所が、この生家というわけです。

夏目漱石誕生の地の詳細情報

夏目漱石誕生の地

住所
東京都新宿区喜久井町1

若き日の下宿

若き日の下宿826559

出典:

少年期も家庭内の混乱は続き、幾度となく転校を繰り返した漱石。16歳の時、大学予備門(現在の高等学校にあたる)受験のため成立学舎(予備校のようなもの)へ入学します。その時に友人とともに下宿していたのが、小石川にある「新福寺」です。茗荷谷駅(東京メトロ丸ノ内線)から、歩いて10分。

若き日の下宿830439

出典:

ちなみに、「琴のそら音」(1905)という作品にはこの寺院の鐘について触れた部分があります。また、小石川は「こころ」などの漱石作品の舞台ともなった土地です。落ち着いた市街地に佇む静かなこのお寺は、さぞかし勉強にはぴったりだったことでしょう。翌年、漱石は無事に大学予備門へと進学します。

新福寺の詳細情報

新福寺

住所
東京都文京区白山3-1-23

青年時代の舞台

青年時代の舞台826723

出典:

漱石は大学予備門で一度の留年を経験したものの、その後は主席卒業で帝国大学(後の東京帝国大学、現在の東京大学)の英文科に入学します。大学予備門では、漱石の人生に大きな影響を残す正岡子規との出会いを果たし、その交流は子規が死を迎えるまで続くこととなります。ちなみに「漱石」の名も、かつて子規が使っていたペンネームの一つを譲り受けたものなのです。東大前駅(地下鉄南北線)から徒歩1分。

青年時代の舞台830457

出典:

帝大に入学した漱石は、ますます頭角を現します。一学生ながら、教授から鴨長明の名作「方丈記」の英訳を委託されたり、東京専門学校(現在の早稲田大学)で講義をしたりしたんだとか。漱石がいかに頭脳明晰であったかをよく表しているエピソードですね。学問を修め、しばらく教師として働いた後、漱石は28歳で松山へ赴任、その後英国留学を経験します。東京に戻ったのは36歳の時。戻ってからの約4年ほど、帝大で教鞭を取りました。

青年時代の舞台826748

出典:

ちなみに、東大構内にある心字池は、通称「三四郎池」として多くの人に親しまれてきました。「三四郎」(1908)の中で、主人公とヒロインがこの池で出会うシーンはあまりにも有名です。

ところで、この池の本名である「心字池」というのは、池の形が「心」という文字をかたどっていることに由来しています。足を運んだ際には、ぜひ注意して見てみては?

三四郎池の詳細情報

三四郎池

住所
東京都文京区本郷7-3-1

「吾輩は猫である」のグルメ

「羽二重団子 本店」外観 826882

出典:mac-mignonさんの投稿

さて、明治38(1905)年、漱石は教職を続ける傍ら、デビュー作となる「吾輩は猫である」を発表します。猫の目線から人間の世界をユーモラスに描いたこの作品は、今でも漱石の代表作となっていますね。作中に登場する「芋坂の団子」とは、日暮里の羽二重団子のこと。当時からその味は評判で、漱石のほかにも正岡子規や田山花袋といった、名だたる文豪たちが足を運んだといいます。日暮里駅(JR山手線)から徒歩3分。

「羽二重団子 本店」料理 826897

出典:グルまさ発動さんの投稿

味はあんこと醤油の2種類。甘さと塩気のバランスはまさに絶妙!漱石が食べていたころと変わらぬ味を楽しむことができます。少し固めでコシのある食感もとてもユニークです。文豪たちがやみつきになるのも、よく分かります。

「羽二重団子 本店」料理 830475

出典:背番号10さんの投稿

独特の扁平なフォルムのわけは、「火を通しやすくするため」「お供え物と同じ球形は畏れ多い」という2説が有力なんだとか。

羽二重団子 本店の詳細情報

5000

羽二重団子 本店

日暮里、鶯谷、三河島 / 和菓子、甘味処

住所
東京都荒川区東日暮里5-54-3
営業時間
[月]  09:30 - 16:30 [火]  09:30 - 16:30 [水]  09:30 - 16:30 [木]  09:30 - 16:30 [金]  09:30 - 16:30 [土]  10:00 - 16:30 [日]  10:00 - 16:30 [祝日]  10:00 - 16:30
平均予算
  • ~¥999
  • ~¥999

夏目文学円熟の地

夏目文学円熟の地826953

出典:

「吾輩は猫である」でのデビューから2年後、漱石はついに教職を辞し、朝日新聞に小説専門記者として入社、職業作家の道を歩み始めます。入社後まもなく、漱石は早稲田南町に居を構え、そこは「漱石山房」と呼ばれました。それがこの「漱石公園」です。「漱石山房」からは、「虞美人草」(1907)「三四郎」(1908)「こころ」(1914)といった名作が次々と生まれ、1916年にこの世を去った漱石の終の棲家となります。早稲田駅(東京メトロ東西線)から徒歩約10分。

夏目文学円熟の地830168

出典:

「漱石山房」では、毎週木曜日に漱石との面会時間が設けられており、通称「木曜会」と呼ばれていました。この「木曜会」は文学サロンとしての側面も持ち、そこには若き日の芥川龍之介の姿もあったのだとか。

夏目文学円熟の地826974

出典:

オリジナルの山房は戦争で失われており、現在あるのは復元された回廊のみとなります。モダンな造りが、漱石の生きた時代の面影を感じさせますね。漱石と青年たちの文学談義が、いまにも聞こえてきそう。

漱石の眠る墓

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出典:

大正5(1916)年、漱石は遺作「明暗」の執筆中に、49歳の若さで息を引き取ります。家族と弟子たちが、その臨終を見届けました。漱石の遺骨は「雑司ヶ谷霊園」に埋葬されており、誰でも参拝することができます。

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出典:

「雑司ヶ谷霊園」には、漱石のほかにもジョン万次郎、小泉八雲、竹久夢二など数多くの著名人が眠っています。雑司ヶ谷駅(東京メトロ副都心線)から徒歩1分。

いかがでしたか?都内のゆかりの地を知ると、より漱石が身近に感じられたのではないでしょうか。その後も読みつがれていく、偉大な作家です。文庫本片手に、彼の見た景色を眺めてみてはいかがですか?

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